一年の抱負をのべたときの、あの、プレッシャー

一月二日(日) やや晴れ

明けました。この事実、おめでとう以外の言葉でどう表せばよいのだろうか、皆様、おめでとうございます。

友人にすごく自分本位な男がいて、去年の年明けのことなのだが
新年をむかえて初めて会った日、私が当たり前のように
「明けましておめでとうございます」
と言うと、そいつは、
「あぁ、ありがとう」
と一言、そのまま言葉を返さずに、
「それでさ、去年の話なんだけど」
と続けたので、
あぁ、こいつは正月を自分のためのものだと思っていやがると
気づき、
「おい、正月はみんなのものだぞ」
と忠告したところ、
「へぇ。」
と気の抜けたような、興味のないような言葉で顔だけはにかんだので、私はもう、先に続ける言葉を見失ってしまった。
それが去年の話で、
そんな友人とも今年はまだ会うことができず、まぁ、それはそれでいいのだが、それでも数少ない友人なので昨日の夜に明けましてメールを送ったら、
しばらくして返ってきたメールが、
「一鷹、二富士、トム・ウェイツやね」
と、いま聴いているのだろうか、それとも、何かあるのだろうかと意味深なことが書かれてあったので、妙に疲れてしまって、
今年も年初めから不快な気持ちになった。


そんなはじまりの一年だが、きっと、良いことがあるのだ。

あっちの世界につれていって

十二月十五日(水)
晴れ。ときどき、あの、夜に降った冷たいものは雪と思いたい。


今日はゴミの日である。
あ、違う。まちがった。

今日は、休みだった。そもそも、私が日記を更新するのはほとんど休みの日である。なので、正確には今日も休みであった、と書くが正しいのだが、私の生活は日記を書かない日でもきちんと存在しているのであって、なので、たとえ日記上では一話、二話と続いているようにみえても、その間には、もっと現実の、事務的とも言える生活がしっかりと起きていて、ほら、だって、生きていくってそれだけで、すごい重労働でしょう。それでも、ご飯を食べるためには働かないといけないものであって、じゃあ、なんでご飯を食べるかというと、明日も元気に働くためであって、もう、卵が先か鶏が先か、みたいになって、止めた。この話はこれでおしまい。


師走なのです。私のまわりも何だか慌しくて、そういう自分も年末の大掃除やら、帰郷の手配やら、忘年会、同窓会となんだかんだで忙しいときに、同居人が、
「師走というのは、師匠さまも走るくらい忙しいという意味なんですよ」
と、得意な顔で連呼するものだから、なんだか余計やっかいなものが増えたような、落ち着かない気持ちになって、もう、やだ。
とくに、大掃除。来週にはしないといけないのだけれども、考えただけで、カラオケ、オール、次の日仕事、のような気分。
掃除は嫌いではないのです。A型のなかでも、稀少なAの私は、散らかして、散らかして、さらに散らかしたものをきっちり片付けるのが好きな性格で、だから、大がつく掃除とか、そういうの、楽しみでしかたがないのですが、そんな私でも、考えただけで億劫になるような、押入が我が家にあって、それは、やってみたら案外あっさり片付くといった類のものではなくて、どうシミュレーションしてみても、最低、十四項目くらいの手順を踏んで、わかりやすくいうと、黙々とやっても三時間はかかる作業があるのです。
それを考えると、あぅ、おなかが痛いので、
また、次の休み。

ふたりごと

十二月六日(月)
今のところは晴れ。



私の友人がいる。自身のブログの更新を一日の唯一の楽しみとして生活しているような人間で、ゆえに、少し世の中を斜めから見ている。私たちは高校時代からの付き合いだ。


その友人が、先週の金曜日に人生初のクラブに行った。
本人から直接聞いたのだが、初めてのクラブにしては良い時間を過ごせたということでとても満足だったそうだ。また近いうちに行きたいと言っていた。
さて、さっそくそのことを自身の愛読するブログに書こうと思ったのだが、そこで一つ問題が起きた。
私の友人は今まで音楽と無縁の世界、音楽など必要なく生きてきた
人間だったので、あのときの感覚をどう書き記せばよいか、全く考えつかなかった。どこか心地よくて、音楽を耳ではなくもっと首より下で聴いている感覚だったのだが、なんと表現したら良いだろう。自然と身体が動き出したことをどう書くべきか。
友人は悩んだあげく、本来、「音楽に合わせて身体を揺らした」と書けば良いところを、「揺らす」という単語を思いつかなかったので、
「音楽に合わせて身体をクネクネさせた」
と表現した。
すると、それが妙にシックリきたらしく、あぁ、あのときの俺はクネクネしていたのだと、クラブとはみんなでクネクネしにいくところなのだと、妙に納得して「また近いうちに、クネクネしにいこうと考えています」という言葉で自身のクラブ初体験のブログを締めくくった。



しばらくして、そのブログのコメント欄に「ツイストを踊ったのですか?私もロカビリーやオールディーズが大好きです」
と後輩が書き込んだのだが、友人が行ったクラブはジャズだったそうだ。


感覚が先か、言語が先か。

ロックの上

十一月二十四日(水)

晴れ。ツンデレの女の子のような天気。


今日、ふと気づいたのだが、晩酌のときに飲む焼酎が、
芋、黒糖、芋、黒糖、麦。芋、黒糖、芋、黒糖、麦。
の順番で毎日飲んでいた。
あぁ、全くどうでもよいことである。


今日も一日、いつものように記すべきことのない一日だったので、本日は焼酎の話をしたいと思う。
焼酎。酎を焼く、または焼いた酎と書いて焼酎。
まず名前がカッコいい。なんだか、職人気質な雰囲気をかもし出している。この透明な濁りのないさらりとした液体を愛用の湯飲み!を傾けて見るたびに、なんだか惚れ>してしまう。
静かに口に含むと、その液体は舌を少し痺れさせ、喉を通り腹の真ん中を温める。口の中の爽快感と、芯の温かさが焼酎の強みだ。そして、固有の匂い。人はよく嗅覚を憶えているというが、そのためか、焼酎の匂いはいつもなんだか懐かしい。もちろん、二日酔いの朝には匂いを嗅いだだけで吐きそうになるのだが。



そしてなにより、酔っ払うことが大切なのである。
「俺はシラフさ、酔っているのは地面」
と唄ったのは、確かエゴラッピンだったと思うが、
私は酔っ払うのが好きなのだ。
別に、いつもがつまらないというわけではないし、酔って忘れたいほどの過去があるわけでもない。それでも、酔わずにはいられないのは、酩酊感が好きだからだろう。見えないものが見えるわけではないが、あの、脳が揺さぶられて、頭がスカッとする感じが、たまらないのだ。これは、ザゼンボーイズだ。


今日は、なんだか引用が多い気がする。
そんな日記は好かないので、ここらで、ドロン。

はーべすと

十一月二十二日(月)

雨。部屋の隙間から冷気が入り込んでくるような寒さ。


三ヶ月前によした煙草を口にくわえ、火をつけないまま鏡の前に立つ。右手には麦酒の缶を持ち、少し気だるい表情を作って鏡を覗いたとき私に足りないものは、ハードボイルドだと気づく。

気づくというよりは、再認識したというべきであるが、二十歳のときから意識しているにも関わらず、とにかく私にはハードボイルドの欠片もない。二十六歳になった男が、くわえ煙草に麦酒という体でここまで滑稽に見えるのも珍しいのではないかというくらい、私にハードボイルドは似合わない。
そもそも、意識してハードボイルドを身につけようとしていること自体が、すでにダメなのかもしれない。ハードボイルドな男は、ここまでの短い文章の中に五回もハードボイルドなんて言葉を使わない。

六回目である。


さて、私の部屋の一室に六畳の和室があるのだが、そこに寝そべるとい草の匂いが鼻から入り、なんだか懐かしい気持ちにさせる。
そのことを同郷の友人に話すと、
「お前にも、ちょっとは熊本の血が残っとるごたっね」
と、キーボードでは打ちにくい汚い方言で答えてきたので、あぁ、こいつはダメだ。ダメな人間だと、その角ばった横顔を睨むと、そこには確かに、ほんのりと故郷の面影。散文詩



今日は、休みだったのだ。美容師でもないのに、毎週月曜日は休みなのだ。美容師ではないから、いつ髪を切ったら良いのか困っているのである。それはそうと、月曜日の楽しみといえば、週刊スピリッツに連載中の、「おやすみプンプン」と「さすらいアフロ田中」である。26歳の男性の一番の楽しみは漫画なのだ。ゲームでないだけ、マシだと自分では思っている。そして、流行りものを素直に賞賛することができない、個性をはき違えた性格の私であるから声を大にして言うことに抵抗を感じるが、実はひそかにワンピースも愛読している。
しかし、今日はワンピースが休載であった。それだけで、なんだか、もう、どうでもよくなった。午前九時のコンビニにて、今日の楽しみはすべてなくなってしまった。せっかくの休みだったのにね。
意気消沈で手にしたNO!では、なんだか何周年記念かの感謝祭みたいなのがやっていた。その中には、一番のオシャレさんを決める大会のようなものもあった。そこで見事グランプリを取った、26歳大学生、そんなことしている場合じゃないぜ?



もうすぐ、この日記もおわる。
今から天神まで歩くのだ。理由はない。ただ、歩くだけだ。
帰りはJRで帰ろうと思います。

風邪の力で書く。

十一月十九日(金)
晴れ。やや寒い。


先日受けたインフルエンザの予防接種のせいで、今日一日身体が怠かった。弱まった病原体とは言え、やはりはインフルエンザの菌である。侮ることなかれ。


ということで、今日は他に仕事のときに一時間ほど無意識で行動していたことと、出勤途中に郵便局で一万円をおろそうとして、少し不安になったので五千円だけおろしたことくらいしか書くことがないので、昨日のことを書こうと思う。
昨日のことならば、昨日のうちに書けばよいのだが、昨日から微熱があったので、仕方がないと、言い訳できる、はず。



昨日は、一日中晴れだった。正確には、午後一時から三時にかけて昼寝をしていたので、その時間以外はきちんと晴れていたと言える。


私はタダという言葉に弱い。私は、とつけなくても、人間だもの、タダという言葉にはみんな少なからず反応してしまうだろう。
というわけで、昨日は会社が料金を負担してくれるというのでインフルエンザの予防接種をしてもらった。大きな公園の敷地内にある病院だ。公園を犬と散歩しているお父さんや、冬の乾燥のせいか踏むだけでパラパラと崩れてしまいそうな落ち葉を踏みつけながらはしゃぐ子どもたちを横目に病院に向かう私の心は憂鬱だった。


私の名誉のために言っておくが、私は決して注射が嫌いなのではない。もちろん、好きとは言えないが、子どもではないのだから、注射という言葉を聞くたびに目を真っ赤にして叫ぶなんて節操のないことはしない。しかし、自ら進んで注射を受けるほど、私はマゾヒストでもないのだ。
では、なぜ行ったのか。
会社がインフルエンザの予防接種の料金を立て替えますと言うことはつまり、予防接種を受けろということで、もっと言うと、もし、予防接種を受けないでインフルエンザにかかったら知りませんよ?ということなのである。知りませんよ?とは、最悪、クビになりかねない。
なので、半ば強制的に私は病院に行かされたのだ。


予防接種自体はすぐに終わった。思ったより注射も痛くなかった。
帰りしなに看護師は2、3日風邪の兆候が見られるかもしれませんが、気にしないで下さいと言った。前述の通り、病原菌を入れて免疫を作るのだ。そのための代償である。と、納得していたのだが、
私はその夜、布団に倒れこむほどの目眩で動けなくなった。
身体が火照り、でも妙に芯だけが冷えている。なんだか身体の節々も痛い。まさに風邪である。それも、自分の身体だから言えるのだが、なかなかのものである。


私はおかしいと思った。今日は医師の言いつけ通り、いつもとかわらない生活を送るように気をつけたはずだ。何もかわったことはしていない。と、そこで、気づいた。
昼間から酒を飲んだのだ。麦酒三杯と、焼酎をロックで二杯。昼間から酒を飲むことは休みの日の習慣となっていたので、何も気に留めていなかったが、それは気分の一つでも悪くなるはずだと後悔した。



案の定、嫌な夢を見た。

不確かな革命のために流される確かな血

十一月十三日(土)
曇り。


朝から洗濯機を回し、五日分の洗濯物を持ってベランダに出るとそこには大きなイワシ雲が一つ、心地よい冬の静寂の上にふわりと浮かんでいた。今日はなんだか空がいつもより青く、私はそのとき、もう大丈夫なのだと思った。



というのは、うそである。
今日は、朝から曇っていた。私は洗濯物を回してからそれを知り、少し後悔したのだ。そして、実は、イワシ雲がどのような形をしているのかも、よく知らないのである。

本当のことを書こう。私はいま、パソコン画面を睨んでいる。
あと二時間後には友人の結婚式二次会が始まる。私は二次会から参加することになっているのだが、いまだに準備もせず、部屋でダラダラしている。


行きたくないのだ。


友達の名誉と私の人情のためにも言い訳をさせてもらうと、それは、それほど仲の良い友人ではないからではなく、また、私が薄情だからでもない。いや、薄情ではある。しかし、友人の晴れ舞台に面倒くさいという理由で、架空の仕事の予定を入れて断るほど私は薄情な人間ではない。と、思う。

それではなぜ行きたくないのか。
それは、朝の出来事による。

せっかくの目出度い席に参加するのだから心はともかく、せめて見た目の清潔感くらいは出そうと私は朝から髭を剃っていた。私の右手には真新しい髭剃りが握られていた。これは最近買った、四枚刃の髭剃りだ。髭剃りを変えたのは実に五年ぶりなのだから、四枚刃だなんてまさに大発明としか言えないのだが、とにかくその髭剃りだ。ギャッツビーのシェービングジェルを口の周りに塗りたぐり、その刃を肌の輪郭に沿わせた。
皮膚を切ってしまった。
しかし、もともとが髭を剃るのが下手な私なので、顔の傷には慣れっこだった。普段ならさほど傷にもならず、ティッシュで少し押さえればすぐに血は止まるのだが、四枚刃はまずかった。四枚の鋭い刃が均等に私の皮膚を削いだ。
血がたくさん出た。


あまりの血に動転した私は隣の部屋で寝ている彼女をたたき起こし、傷跡を見せた。しかし、寝起きの悪い彼女は私の傷跡を一瞥すると、何事もなかったようにまた布団にもぐりこんだ。私はけっきょくタオルを二枚つかって止血することとなったのだが、そこには深い傷が残ってしまった。
今は絆創膏で隠しているが、ずっとヒリヒリしている。
だから、行きたくないのだ。


と、書いているうちにも刻一刻と時間は迫ってくる。