たまには昔の話でも

あれは18歳、大学一年の夏の終りでした。
あと数週間で誕生日を迎えるぼく。
彼女いない歴が年齢という、絵に描いたような
モテない男子、略して(邪魔なもの省いて)モテメン。

何かしら期待していた大学生活にもいい加減
諦めがつき、結局、人間なんて・・・と、
吉田拓郎のベスト版ばかり聴いていた
あまりパッとしない青春時代。
夏の日差しは照りつける大地だけでなく
ぼくの心さえも乾かしていきました。

当時、男子寮の2階に住んでいて四方八方
ワキの臭いと新鮮なイカの臭いに囲まれた
生活を送っていたぼくには、
女の子の、あの、なんか知らんけどいい匂い
を近くに感じることなどできず、いっそのこと
自分でイブサン・ローランの香水でも
買ってやろうかしら、と思っていた
夏の終り。

そんなぼくに夏の一大イベントがやってきました。

高校時代の数少ない女友達と天神の街で
ばったり出会い、なんだかんだあって
次の週に行われる香椎浜の花火大会に
一緒にいくことになったのです。

その女性は高校でも5本の指に入るくらいの
美人で、実際、とてつもなくモテていました。
なぜ友達になったのかは忘れましたが、
ぼくにとっては限りなく恋愛感情に近い「友達」
でした。

また、
ぼくにとって生まれて初めてのデートでした。

来週にはぼくは女の子と二人きりの時間を
数時間も過すことになりました。
それは、もちろん喜ばしいことのはずですが、
何かしらの違和感を感じました。
それは、どこか不安な、ジェットコースターに乗る直前の
待ち時間みたいな。。無駄にドキドキした気持ち
でした。

そんな気持ちを素直に言うと
「恐い」
でした。

ぼくはその恐怖を少しでも紛らわすために
行きつけの古着屋で全財産をはたき
衣類を購入し、少しでもスマートに見せようと
発声練習からはじめました。
一足で千円もする靴下を買い、少しのびた髪をカットし、
「紳士とは」という講談社から出版されている
HOW TO 本を熟読しました。

そして当日。

待ち合わせ場所である駅のホームに
舞い降りたのは、紛れもなく天使そのものでした。
どこからか、イブサン・ローランの香水の匂いさえも
漂ってきました。






駅を出ると小粒の雨が降り始めました。
ぼくらは近くのコンビニでビニール傘二つと
缶ビールと酎ハイを一つずつ買いました。
傘が一つならもっと嬉しかったのですが、
ぼくの横で酎ハイを飲む彼女のほころびた笑顔だけでも
十分幸せでした。

コンビニを離れ、
花火会場に向かう列に合わせてぼくらも歩き出しました。
会場に近づくにつれて多くなる人ごみを掻き分け、
花火とは無縁に盛り上がるホームレスの宴会場をすり抜け、
ぼくらは海岸沿いまで到着しました。

海岸には多くの人だかり。
小粒ながらも降りしきる雨と、
人の熱気で
異様にモヤっとする空気。
そして、肩がぶつかるくらいの
距離にいる彼女。
極度の緊張。
ぼくは軽い眩暈のようなものを
感じました。

それでもはぐれないようにと、
二人の距離は徐所に密接に
なってきます。
そこでぼくは気づきました。

あれ、なんか彼女の顔がこっち向いとるのですが。
ばっちり目が合っちゃってるのですが。
彼女の顔がどんどん近づいてきます。
ぼくは思いました。
もしかしたら、これがキスのタイミングなのか。
そうなのか、とうとうなのか。
お母さん、なんかごめんなさい。
(なんじゃそりゃ)

と思ったところで
空が引き裂かれたような音を立てました。
それと同時に
彼女は方向転換をして音の鳴るほうに向きを変えました。

残念に思う気持ち四分の三、少しホッとした気持ち四分の一で
ぼくも同じ方向に視線を移すと、
空に大きな花が咲いていました。

空に浮かぶ花が咲いたり散ったりを
幾度となく繰り返している間、ぼくらは無言でした。

そういった沈黙の中、ぼくはこう思いました。
「今日は帰らない」




花火が終わり、集まった人たちは各々の場所へと散っていきました。
そんななか、僕と彼女(あくまで代名詞)は二人、近くのベンチに座って海を眺めていました。

人々が残した熱気が夏特有の生ぬるい風に運ばれ遠くに消えていきました。
風は僕の頬をかすめ、隣に座る彼女(あくまで代名詞)の頬を優しく撫でながら
東の方角へ逃げていきます。二人は無言のまま月明かりに照らされた海を眺めるばかりでした。
「これからどうするの?」
沈黙を破ったのは彼女(代名詞)でした。「私、終電があるからこのままはちょっと困るんだけど」
そう言うと彼女は立ち上がり、横に置いていた手提げ袋を拾い上げました。
それはつまり帰るということなのでしょうか。僕は自分の不甲斐なさに毎度のことながらうんざりし、
座ったままの僕を真っ直ぐ見つめる彼女の顔を覗くように見上げました。
「・・・駅まで送るよ」
これが僕の精一杯の言葉でした。
薄暗い夜の中では彼女の表情を確認することはできませんでした。


僕らはまた無言のまま駅までの道を歩きました。
途中、彼女が何か言いたそうな顔をして僕の顔を睨みます。
僕は彼女の口から出てくるであろう罵倒や非難中傷の言葉から逃げるようにして足を早めました。
そのとき、僕は何かに躓いたのか大きく前に倒れそうになりました。
すんでのところで体勢を整え足元を確かめると、履いていたサンダルの鼻緒がちぎれたことに気づきました。
本当にもう嫌だ。
どうなったっていい。
なんだか無性に悲しくなったぼくは
小さな声で言いました。
「ごめん、先に帰っていいよ。つまらない時間をつかわせて、なんか本当にごめん」

すると彼女はぼくの顔をまじまじと見たあと、
突然くつくつと笑いました。
そして口を開いて
「そんなに緊張しなくても良いのに。なんでそんな泣きそうな声を出すの?ねぇ、私は別に男の人に上手にエスコートしてもらいたいなんて思ってないのよ」
と言いました。
そうして彼女はバックの中から小さなマチ針を取り出し、ぼくのサンダルの鼻緒をつなぎ合わせました。
「一応の応急処置だったらこれで十分でしょ。履くとき針に気をつけてね」

ぼくは何がどうなっているのかわかりませんでした。
おそらく怒っているであろうと思われた彼女は笑顔でこっちを見ています。
肩の高さまで伸ばした髪が雨に濡れて艶っぽく映っていました。
「でも、急がないと終電が・・・」
ぼくがそう言うと、彼女は
「もう間に合わないわ、今日はどこかで時間潰さないと」
と言ってぼくの手を握りました。
「最後までエスコートしてくれる?」
ぼくは比喩ではなく本当に心臓が飛び出そうでした。


続くかも?