僕の悩みといえば?

手の乾燥。職業柄、たくさんの書籍を扱ってお金を貰う仕事柄、右手の乾燥が激しい。
紙って皮膚の水分や油分を容赦なく吸い取るから恐い。そのくせ、つねに乾いてるから憎い。
僕が本を持つときに何かしらの癖があるからだろうか、右手親指と人差し指の間の、河童で言うところの水掻き部分と、中指と薬指の間の水掻き部分が特に酷い。いや、河童なんて空想上の生き物から表現を頂くのもどうかと思うが、乾燥してとても痒い。だから掻く。掻くと血がでるが、なんだかとても気持ち良いので掻き毟ってしまう。
そうなると当然、一向に治らなくなるのだが、どうしても止められないこと。

最近のこと。飲みすぎた次の朝、二日酔いより先に、お腹を下すようになった。
というか、お腹を下して初めて二日酔いだと気づくようになった。
そういうわけで、2日に一回くらいお腹を下していること。これもすごく辛い。

以上2点が、僕を構成する悩みの大部分である。
あ、僕はけっこう悩みは少ないんだと思った。

というのも、いや、僕としては上記の悩みは深刻な問題なのだが、同い年の友人たちの悩みはもっと深刻だ。
とても大きな問題を抱えている。俗に言う、「将来に対する不安」というやつだ。
そう考えると、僕の悩みはなんとちっぽけなものだろう。
僕だってその友人たちと同じ種類の悩みを持っていないかと訊かれて、持っていないといえばウソになる。
でも、はっきり言って、ほとんで考えたことがない。
それに対して友人たちが口を揃えて僕に言うように、僕も思う。僕は、自分が将来に対する不安を持ってないことが不安だ。
いや、しかし、本当にそうかな。今、僕が将来について悩んでいないことのツケが40歳くらいになってひょっこり出てくるとして、僕らはそんな先のことを常に考え、重い気持ちになって今を生きないといけないのか。なんか違うんじゃないかな。
僕だって長生きはしたい。長く生きて、楽しいことをいっぱい経験して、いつまでも笑っていれたらとても幸せだと思う。ただ、長生きするためだけに生きるのはおかしい。なんだか、世の中、長生きが全てみたいな、生命の死に対する漠然とした恐怖、未知の闇の対する原始的な恐怖というものに縛られて、あげくには20歳から常に健康食、肉はあまり食べないで、身体に良いなんちゃらばかり食べる。100歳までの人生設計をして、地道にコツコツ、遠い将来のことばかり考えて生きるなんて、もったいないのではないかと思う。といっても、誰だって僕だって死ぬのは恐い。あんだけ30歳になったら死ぬって言っていた、ピート・タウンゼントだって、もうおじいちゃんだし、やっぱり計画性は大事なんだろうと思うけど、ただ、なんとなくで、保障も確証もないんだけど、20代の毎日と、40代の毎日では、やっぱり20代の毎日のほうが楽しいんじゃないかと思う。だから、20代のうちから40代のためになにかを我慢することはあんまりしたくないなぁ、でも、そうはいっても、できることなら40代になってもツケは払いたくないなと思って、人生の逃げ道をもう少し探してみようと思った今日この頃、僕にはもう一つ、悩みがあった。

あれ、音楽のジャンル。あれってむずかしいよね。最近、音楽をパソコンに取り込むことが多くなったけど、僕のパソコンは親切にも取り込んだ音楽を自動でジャンル分けしてくれる。それで、僕が取り込むCDの分類として一番多いのがオルタナティブオルタナティブってなんだろう。あれもこれも、何でもオルタナティブという括りでまとめられることが納得できない。といっても、ロックだって、ルーツレゲエだって、あんなの言葉として使い勝手が良いから使われてるだけであって、実際、言葉としてはロックなんだけど、ロックがあるからあんな音楽があるのではなくて、あんな音楽があってロックという言葉ができただけで、そう、ロックとかオルタナティブとかの言葉には何の意味もないのだ。じゃあ、そんなジャンルなんか必要ないじゃん、ジャンルなんて枠組みまダサいよ。なんてことを言う若者が近場のミュージックラバーの間で増えてきているようだが、それは違う。ジャンルが必要だと僕は思うわけで、たとえばタワーレコード。そこにいけばたくさんの音楽が、多彩なジャンルに分け陳列されていて、前述のようなミュージックラバーさんたちも好みのレコードを買うためにはその分かりやすい、ジャンルという目印を利用して発見、購入に至るわけだから、やっぱりジャンルというのは必要なのであるのさ。

と、話がそれるばかりで、一向に本題に進まないが、まぁそれも愛嬌。ということで、
今からタワーレコードに行って来ます。