悩める子羊のぼくちゃんへ

あれはもう、七年前になるのか。

そのころ僕は熊本の田舎から福岡に出てきたばかりだった。

熊本市内になるとある程度は発展しているのだが、
僕の住む天草という場所はコンビニが22時に閉まるような辺鄙なところだった。少し濃いすぎる青い海と、人の侵入を拒むようにそびえる野生の山。高度資本主義社会を終えてもなお
「狸に化かされる」
という言葉が頻繁に使われるような田舎町。

そうだ、空だけはどこまでも透き通っていたのだった。


そんな僕が福岡に出てきて最初に思ったことは
「あ、夜中でもご飯が買えるんだ」
だったのを憶えている。
夜中になっても外は明るく、どこかで人いきれを感じる。
闇は遠くの世界に、かわりにライトアップされた街並みが。
眠らない街

福岡に出てすぐ、僕の睡眠は乱れた。
夜になっても眠れない。むしろ、体内がより活動的に脈打つ。

眠れない夜には、いろんなことを考えた。
今思えば、それは本当に大したことじゃない。
誰もがそうであるように、
一人の夜というのは、いたらんことを考えてしまうのだ。

しかし、当時の僕にとってそれはほとんど命題に近く、
果てのない自問自答だったと思う。
人付き合い。立ち振る舞い。ディスコミュニケーション状態。
中途半端な自我が目覚め、なぜか窮屈な世界に連れて行かれたような錯覚。
そう、錯覚だったのだ。
違う、そうじゃない。

僕には満足のいく答えは見つけられなかったのだ。

見つかったものは、
「それは、一時の気の迷い」
という、ありきたりで半ばあきらめにも似た答えだった。


たとえば鬱病、メランコリー。
あんなの、自意識過剰のなせる業であって、
人の優しさにも気づかない鈍感な僕が
そんなナイーブ、神経過敏を気取っても
笑われるだけだっつーの。

と、強がってみたり、電話かけてみたりした。