ルパン三省

本日を持って、ルパン三世の映画、ドラマスペシャルの作品をすべて見終えた。


記念すべき最後の作品は「カリオストロの城」だった。
というと、
「そんなベタなものだなんて、あなたもミーちゃんハーちゃんなのですね」
と言う方もいると思うが、違う、そうじゃない。

知っての通り、「カリオストロの城」といえばルパン三世の中でテレビ再放送されることが一番多い作品だ。だって、監督が駿。つまり話題作。

僕はこの作品を極力観ないようにしていた。
メジャーに対する根拠なき反抗というべき愚行である。

というのも、モンキーパンチで満足していた僕には宮崎駿のネームバリューは少し重すぎたのだった。
そこまで、しなくてもいいのではないか。ルパンの世界観が駿の世界観に変わってしまうのが恐かった。
なので、観なかった。


しかし、僕は今、頬を濡らしている。
それはなぜか?
駿の作品に涙で応えたからだ。
簡単に言うとすごく感動したからだ。
いや、さすがに大筋は知っているので
不意をつかれたわけではない。
むしろ、逆だ。逆説的だ。
逆説性普遍的なものに涙した。
ルパンはあくまでルパンで、
銭形のとっつぁんはあくまで銭形のとっつぁんだった。
その普遍性のなかで、なぜあんなストーリーを作れるのだろう。
という、あたりに感動した。
あと、クラリスがかわいかった。


と、感動のあまり随所に箇条書きに似た部分が見られるが、
つまり、そういうことだ。